『幽霊はここにいる』を観劇して

 前回のブログにも記載をさせていただきましたが、PARCO劇場で上演中の『幽霊はここにいる』を観劇させていただきました。FC枠で1回、一般で1回、ありがたいことにチケットをお譲りいただき同行させていただいたので、合計3回観劇をしました。

 安部公房さんの作品だったので、事前知識があったほうがいいのではと思いましたが、せっかく何度か観劇するチャンスがあったので、1回目は前知識なしで、2回目は戯曲を読んでから向かうことにしました。

 戯曲を購入して読むことは現在ほぼ不可能であったので、図書館から借りることにしたのですが、ド田舎に住んでいるので地元で1番大きな公立図書館に『安部公房全集』が1冊のみしかありませんでした。できれば、単行本の方も読みたかったのですが断念。

 個人的には、前知識が無くても比較的分かりやすい舞台だなとは思いましたが、知識を入れてから観劇すると、より深く心情や背景を理解することができるので、おもしろさが増すように感じました。

 

 以下感想と考察をしていきたいと思います。

 

時代考察

 主演の神山智洋さんのブログ『G.D.Diary』の2022年12月8日更新分で、「時代は戦後1952年」と明記されているので、そちらに準じて考えていきたいと思います。

 まず始めに、終戦から1950年代までのざっくりとした流れを整理したいと思います。

・1945年8月15日

 ポツダム宣伝受諾をし、天皇陛下から玉音放送を持って終戦

・1945年9月2日

 降伏文書に調印、日本が連合国軍最高司令官の管理下に置かれる

・1946年11月3日

 日本国憲法の公布

・1950年6月

 朝鮮戦争の開始(日本が物資供給の中心となったため、戦争特需景気となる)

・1950年8月10日

 警察予備隊の発足(自衛隊の前組織、1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組)

・1951年9月8日

 サンフランシスコ平和条約の調印

・1952年4月28日

 サンフランシスコ平和条約が発効(日本と各連合国との戦争状態は終了し、沖縄県奄美諸島小笠原諸島を除く日本国民の完全な主権が承認)

・1954年7月1日

 自衛隊発足

・1955年11月

 自由民主党結成

 

 ものすごくざっくりと代表的な物を並べるとこんな感じでしょうか?

 また戦争の終結で冷戦構造となったことで、アメリカでは、政府が国内の共産党員およびそのシンパを追放する運動、通称「赤狩り」が行われ、アメリカの同盟国でもそちらの動きが大きくなっていたそうです。この運動はおおよそ1954年ほどまで続いたとのこと。

 政治的・文化的にはやや保守的で、人権拡大の要求などは軽視、その反動が若い方々の中で広がっていたそうです。

 

 

 生活環境はというと、

・1953年2月1日 NHKがテレビの本放送を開始、同年8月には民間放送も開始

・1952年の大卒初任給(公務員)の初任給が7650円、高卒初任給(公務員)が4600円、牛乳14円、新聞280円、映画館120円

・1953年頃に冷蔵庫、洗濯機、トースターなどが販売、通称「電化元年」

 

 舞台に関係しそうなところをピックアップしてみました。

 ものすごい変動の時代ですね。

 

 

※ここから先は話の内容、演出に触れていきますので気になる方はブラウザバックしてください。

「幽霊はここにいる」の世界観

登場人物

深川啓介(32、3)

いつも幽霊をつれている元上等兵。海か川の近くで野宿をしている大庭三吉とであったことで、北浜市で生活をすることになる。

『死人の写真』を探しており、その写真をもとに幽霊の身元捜し、戸籍つくりをしたいと思っている。


大庭三吉(55)

元詐欺師。8年前に殺人の嫌疑をかけられていて、それ以降は北浜市を離れて生活していた。たまたま深川とあったことで、『幽霊商売』を思いつき家へ戻る。

幽霊のことは信じていない。

 

大庭ミサコ(23)

大庭三吉の娘で、8年前に三吉が家をでた際は15歳だった。母親と一緒に崖近くの家で、「ヒカリ電気商会」という電気屋さんをやっている。

父親をはじめとする周囲の人々の商売には否定的。

幽霊が本当に要るのか懐疑的だが、深川のことは信用している。

 

大庭トシエ

大庭三吉の妻で、三吉と深川にたいして否定的。

8年前の事件の目撃者を知っているということで、三吉に対してゆすりをかけているが、商売が繁盛するとそれに便乗していく。

幽霊のことは信じていない。

 

箱山義一

「北浜新報」の記者で、地元出身の人間ではないため、8年前の事件については知らなかった。

深川をはじめとする、『幽霊商売』については一切信じておらず、商売に市までもが便乗し始めた際に警告をしたことで、新聞社を首になる。

その後、鳥居や大庭の関わる事件についての実話小説を書きはじめたことで、大庭家に関与していく。

 

鳥居弟

「北浜新報」の社長で、8年前の事件で三吉と関わりがある。

吉野が死んだ時の目撃者がいると大庭に脅され、箱山の取材した幽霊記事を新聞掲載することを承諾する。

『幽霊商売』で市が繁盛していったため、便乗していくようになる。

幽霊のことは信じていない。

 

市長

北浜市長で、8年前の事件で三吉と関わりがある。

選挙を控えているため、『幽霊商売』に便乗することで勝とうとしている。

幽霊のことは信じていない。

 

鳥居兄

金融業者、8年前の事件で三吉と関わりがある。

『幽霊商売』の繁盛に便乗し、幽霊保険の事業を担当する。

幽霊のことは信じていない。

 

竹村(まる竹)

建設会社鳥居兄弟と久保田市長の仲間で、8年前の事件で三吉と関わりがある。

『幽霊商売』の繁盛に便乗し、幽霊会館の建設を行う。

幽霊のことは信じていない。

 

本物の深川

本物の深川啓介で、深川(吉田)の戦友。弁護士。

南方のジャングルで水筒の賭けに勝ってしまい狂った深川(吉田)を連れてジャングルを出た本物の深川と一緒に二人は捕虜として捕まり終戦となった。

その後、精神病院から逃げた深川(吉田)と間違えて捕まえられそうになったことを機に深川(吉田)の現状を知る。

深川(吉田)の母と北浜市へ向かった。

 

※名前の付いている役のみ掲載しました。

 

ステージ構成

 なんといっても特徴的なのは、ステージ上に敷かれている砂と上から降ってくる砂。

過去に上演されていた映像も拝見したのですが、そちらでは水を使用しています。

 また、大掛かりなセットはなく、演者たちが持ち運べるセットを使用されているステージ構成でした。

 

脚本内容のあらすじと考察と諸々の感想

大庭三吉との出会い

 最初の場面は、この舞台に登場する住人達が傘を持ち歌を歌っているところから始まります。黒い服に黒い傘をさしている様子は、まるでお葬式のようでした。

 

 住人たちが去ると、深川さんが椅子の上に立ち、長靴の中の砂(水)を出します。その砂(水)が焚火にあたっている大庭三吉のもとに落ちたことで2人は出会いました。

 すごくシンプルな造りをした舞台なので、椅子の上に立つだけで橋の上から話しているように演じるのは難しそうですが、神山さんと八嶋さんが本当にそこそこの距離にいるかのような声を出すので、初見で知識が無くても橋の上というのが伝わってきて、俳優さんの凄さを知ることが出来ました。

 

 この場面で登場する、『アスピリン』。

 アスピリンはアセチルサリチル酸という解熱鎮痛剤で、世界で最も使われた薬の1つと言われています。比較的副作用が出にくいため、開発された約150年ほど前から現代まで多くの人が使っています。

 深川さんは大量のアスピリンを持ち歩いていることから、かなり常用していたのではないかと思います。実は、アスピリンは少量であっても繰り返し服用することで中毒症状がみられるそうです。症状としては、耳鳴り・吐き気・嘔吐・眠気・錯乱など。少量を継続して摂取し、徐々に発生したアスピリン中毒は、数日から数週間かけて症状が発生するらしく、その中でもよく見られる症状は、眠気・軽度の錯乱・幻覚…

 

 これはただの推測ですが、深川さんの幻覚の理由の1つはアスピリンなのではないでしょうか。

 現実逃避で吉田と深川が入れ替わる→ストレスや精神的苦痛からアスピリンを飲む→中毒症状の悪化→幽霊の幻覚が強くなる→ストレスや精神的苦痛からアスピリンを飲む…みたいな感じでどんどん幽霊が近くにいるようになっていった。

 また、吉田と深川が捕虜になった後の描写はほとんどないのですが、2人とも生きていて戦時中の備品が現在でも手元にあることから、幸運なことに扱いがいい収容所へ行ったのか、終戦直前だったのかもしれません。でも周囲に生きた日本兵や戦争の痕跡が多い場所で生活をしていくことで、余計に罪悪感が刺激され、深川(吉田)はどんどん中毒症状と自責の念で幻覚が強まっていったのかな…なんて考えます。

 

 そんなこんなで三吉と北浜市へ向かうことになった深川ですが、三吉のこと最初から信頼していて子鴨みたいでかわいいなぁと思っていたのですが、戦地に出て悲惨な経験をしたにも関わらず、純粋すぎますよね。自我がほとんどないように感じます。

 そんな違和感も初めて見た時には、「深川くんかわいい…」だったのに、最後まで見るとなんだか不気味に感じるから不思議なものです。

 

 

北浜市について

 北浜市に向かってからは、お偉いさん方が大庭三吉が帰ってきたことに焦っていたり、市民たちの間でもたちまち噂になるほど彼は『すごい』人だったというのがわかります。

(余談ですが、市民たちの中で食用鼠の話が上がっていますが、鼠が世界で一番嫌いな生き物の私としては、想像しただけで吐きそう。実際に鳥肌めっちゃ立ちました…)

 大庭三吉が何か企んでいるのではと考え、8年前に起こった事件を知らない箱山さんが調査に派遣されます。

 箱山さんが出てきた時、お顔の小ささにビビりました。木村了さんってあり得ないくらいにスタイル良いんですね…私の中のイメージが赤い糸のたかちゃんとイケパラだったので、めちゃくちゃ渋くて大人の色気があってビビりました。あと登場の仕方がお茶目でかわいかったです。

 

 帰ってきた三吉と着いてきた深川は、三吉の自宅であるヒカリ電気商会へ向かいます。

 まず何より言いたいことはしゃがんでいる時の神山くんのおちりがめちゃくちゃぷりぷりしてて最高でした…軍服って下半身のラインでるので、細いおみ足とおちりが堪能できるので、罪悪感がありますよね。

 

 かわいくしゃがんだままヒカリ電気をのぞき込んでいる中で、大庭家の複雑さが垣間見えます。

 今でこそシングルも珍しくありませんが、戦後には戦災母子家庭が問題視され、その7割がかなりの貧困であったと言われています。ましてや北浜市は田舎だと思うので、母一人子一人での生活は困窮していたと思います。

 実際に、三吉が帰ってきた際にトシエは「ミサコの苦労を知ったらかわいそうだ」みたいなようなことを言っています。1950年代の女性の初婚平均年齢は23歳なので、ミサコも当時の適齢期です。それでもそのような話が無いということは、北浜市での三吉の評判の悪さもあってではないのでしょうか。そうなると、2人の三吉への不快感・不信感は想像にたやすいです。

 

 三吉が帰宅した際には、2人は深川ともども出ていくように伝えます。当たり前ですが、幽霊が見えるという深川のことを信じる様子は少しもありません。

 その後の三吉のムーブは最低最悪くそ野郎です。家賃払えとか迷惑しかかけていない実の家族に言うか普通!?このあたりで私個人的には大庭三吉への信頼感は全くなくなったので、ここからどうなるのかという不安が大きくなりました。

 ただそこで負けていないトシエは『8年前の事件の目撃者』で対抗します。この時はっきりと出てくる『大庭三吉は人殺し』で『その目撃者がいる』という事実は最後まで物語を動かしていく大事なピースになります。でも『8年前の事件』について語られることはほとんどありません。事件の内容よりも、誰が何をして何を知っているのかということだけが大事なのです。

 

 トシエの貯金を頼りに商売をしようとする三吉と深川ですが、当然断られます。

 この時無邪気に人の貯金を頼る深川くん、少し怖かったです。悪意なき悪意がまるで子供のようで、客観的に観て「人の金を頼るなよ!」と思うのですが、深川はそれが失礼なことだと本当に思ってないのかと思います。幽霊のためにならなんでもできるし、何も悪いことはないって心の底から思える純粋さが彼の背景を考えるとやはり異質です。

 

 このヒカリ電気の場面でも鏡を嫌がります。電車内でも嫌がっていたというからには相当ですが、鏡に吉田の顔が映る→自分は深川だと思っているから映る顔が違うと思う→鏡に映ることができなくなった吉田からの意思表示だと感じる→鏡が嫌いってことで合っていますかね?

 

『幽霊商売』の開始

 そうして元手なく始まった三吉と深川の商売は、チラシ貼りからはじまります。

 

 この電柱にチラシを貼るシーン、めちゃくちゃおしゃれでこの舞台の中でも1位2位を争う好きなシーンです。

 人が電柱になり、踊りながら宣伝をしていくなんて、ドラマや映画ではありえないですよね。ほぼ初舞台観劇の私としては、そういった舞台特有の演出が全て新鮮に見えて何度観ても楽しかったです。

 客席をお花にたとえてくれる八嶋さんも、そんな私たちを綺麗といってくれる神ちゃんも安部公房さんが初めてで少し難しい話で理解がやっとな気持ちを軽くしてくれました。

 電柱にチラシを貼っている際に、幽霊がミサコへ好意を抱いている旨が告げられます。

 

 そんなチラシをみて初めてのお客様が来ます。亡くなった義理の弟の写真を売りに来た女性です。そんな女性に写真の人物の身元調査票を書いてもらい、お金は1週間後に渡すということになりました。

 このビジネス、三吉が流れを考えたんだと思いますが、めちゃくちゃ頭いいですよね。元手がない以上お金は渡せない、だから収入をつくる、もしくは写真を返却してほしいと相手から言わせる流れまで読んでいたということになります。

 

 深川はこの後の話の流れで『インテリ』と評されます。パンフレットの幽霊と深川の対談でも、学生であったことが示されています。年齢的におそらく大学に通っていたと思うのですが、戦前戦中の大学進学などの高騰期間教育への進学率は5%であったので、かなりのエリートでインテリだったことが分かります。

 対して吉田は農村育ちとのことですので、偏見ですがそこまで学習をする機会がなかったのだと思います。

 バックグラウンド的にインテリなのは深川(本物)になりますが、吉田が幽霊の声として話しているけど深川(本物)は近くにいないので、深川(吉田)もかなり頭がキレたのかなとは思います。ただ、深川(吉田)は死人の写真をビジネスにするつもりはなかったので、三吉のような商売方法は思いつかなかったと思います。けれど効率よく集めていきたいから、否定はしなかったのではないでしょうか。もしくは本当に三吉が善意で手を貸してくれていると思っていたのか…

 

 写真が集まったところで、幽霊からせがまれる形で戸籍つくりが始まります。写真と身元調査票を照らし合わせて、幽霊を探し始めたのです。

 ここで神山担にはたまらない歌とダンスシーンがありました!!!!ただ誤解されたくないのは、歌とダンスを何が何でも見たいわけではないです。さすがに話の中に急に脈絡もなくぶっこまれたら、「いやいや…いくらなんでもこれは酷い…」となっていたと思います。今回、オタクたちが沸いていたのは違和感のないタイミングで演出の一環として行われたからです。けれど、歌とダンスを観ることができたのはとても嬉しかったです。

 この深川の歌唱シーンで、ノリノリで踊っている三吉、思わず踊ってしまうミサコ、そんなミサコを止めるけど自分もつられてしまうトシエという三者三様の違いが面白かったです。上下に揺れてるところかわいかった。

 

 そんな戸籍つくりには、尾行していた箱山もうっかり見つかったことで参加します。その時に箱山は『8年前の事件』について知ります。そして信じてもいない幽霊の宣伝記事を書き、巻き込まれていくことになりました。

 

『幽霊商売』の繁盛

 宣伝記事が載ったことで、安易に写真を売っていた人たちが写真の返却を求め始めました。その時にお金を請求することで、三吉と深川の元手ができていくのでした。

 そんな様子をミサコは侮蔑した様子で見ています。深川に問いただしますが、幽霊がこの商売に対して肯定的だったので、深川も肯定します。そのことによってミサコは深川も軽蔑するようになりました。

 この時ミサコは仕事に行くと言っていた気がするので、ミサコ自身父の『幽霊商売』に頼る気も信頼もなかったのかなと思います。

 

 そんなこんなで幽霊の噂はあっという間に広がり、住民からの依頼で仕事内容も増えていきます。そのことですっかり人気商売となり、どんどん儲かっていきます。

 このどんどん繁盛していくシーン、住民の衣装が黒から銀に、銀から金にと変わっていきます。非常に分かりやすいですよね。

 その中で服装に変化をみせない深川とミサコ。これは2人とも自分の軸がぶれていない証拠なのかなと解釈しました。深川は、一貫して幽霊のために幽霊の存在価値をつくること、ミサコは普通の生活を送ること。

 そしてもう1人箱山も服装の変化は見られませんでした。それは軸がぶれていないなどではなく、根本的にこの一連の出来事がばかげていると思っていたからではないでしょうか。閉鎖的な田舎に飽き飽きして、さらにはこんなバカ騒ぎで仕事を失ってしまったとなると。その中心人物たちに怒りや軽蔑の心を抱いていてもおかしくないと思います。なので、『幽霊商売』で変化していく周囲に染まることなく服装も変わらなかったのかなと思いました。

 

 『幽霊商売』が繁盛していく中で、深川はだんだんと体調を崩していきます。アスピリンを三吉から返してもらい、頭痛の鎮痛剤として服用を始めます。このあたりで、幽霊から殴られるなど暴力を振るわれるようになり、どんどん憔悴をしてきました。

 また、『幽霊商売』に便乗して自身も利益をあげているトシエに怒りとやるせなさを見せるミサコに対し、最初は幽霊の言葉を告げる(死ぬなら俺の前で死んでくれってヤンデレか?)のですが、幽霊と離れたすきに「幽霊の言うことは真に受けるな」と忠告しています。

 私は初回は何も前知識無く観劇をしているので、この時は「深川優しいなー」と思っていたのですが、2回目以降めちゃくちゃ疑問に思いました。

 そのことについては、後述致します。

 

 深川から幽霊の言葉を聞いたミサコは走り去り、山の中?に向かいます。その後を追う尾行をしていた箱山。ミサコに追いついた箱山は、深川は幽霊を見えていないと自分の考えを伝えます。それに対して、ミサコは深川が幽霊を見えることになった経緯を伝えるのです。

 この話を聞いた箱山は、大して驚きませんでした。箱山の年齢設定は分かりませんが、おそらく深川と同世代か少し上程度と考えると、箱山自身も戦地へ行っていたのではないでしょうか。だから、戦友の死を良くあることといい、深川に対して同情を抱かなかった。対してミサコは自身は戦地へ行ったことはなく、目の前で仲間が死ぬといった経験もないため、深川に対して深い同情を抱いている。このことが『幽霊商売』に対して否定的な2人の決定的な違いかと思います。

 

幽霊後援会の発足・幽霊会館を始めとする事業の発足・市長への立候補

 『幽霊商売』がどんどん繁盛する中で、三吉はお偉いさんと手を組み益々の発展を遂げていきます。

 幽霊後援会や幽霊会館の建設、幽霊保険、幽霊服…何が恐ろしいかというと、この提案をし承諾した彼らが誰1人幽霊を信じていないところです。見えないものを崇拝する一般人を吸い上げていく商売を行う様子は、もはや『幽霊商売』が宗教の域まで達したように感じました。

 作中でしつこいくらい資本主義が主張されている理由は、当時の時代背景の方に書かせていただきましたが、まさに生産手段を持つもの(三吉・お偉い衆)が持たないもの(市民)に労働(写真の売り込み・写真屋・幽霊会館で働く人など)を与えそれに応じて市場価格が決まっていく様子はまさに資本主義。

 こうして商売は始まっていくのか社会学的にも感心しました。

 

 そんな中、深川と三吉の噂を聞いた方が崖から飛び降り、自死を行います。

 この時、市民たちは「死ぬなんてもったいない」といったことを言いながら、死人の顔を見ようとしたり、写真を撮ろうとしたりします。もう北浜市では死ぬことすらが商売で金儲けの道具となっているのですね。だから誰も心からの弔いの気持ちを持たない。命を取り扱う商売の恐ろしさを感じます。こうして段々と麻痺をしていくのかもしれません。

 

 そうして設立された幽霊後援会の発足式では、深川が代理となり幽霊からの挨拶が行われます。

 この時の神山くんの声量、ビビりませんでした?それまで少し浮世離れしてどちらかというとオドオドしている深川が急に「俺は誰だ!」と叫んだので、シンプルに神山くんの演技力と声量に驚きました。本当に舞台観劇をしたことなかったので、それまで他のファンの方々が「神ちゃんは舞台向き」と言っていた意味をいまいち理解できていたなかったのですが、このシーンでなるほどなと思いました。

 ドラマとかだったら、カメラワークや編集で変化を出せますが、舞台は観客全員が同じように観ることはありえません。その中で、自分の演技力で雰囲気をパッと変えられる神山くんは確かに舞台が似合いますね…。また好きになりました♡

 

 後援会でファッションショーが行われる中で、深川が「幽霊さんが後援会長になる」と宣言します。

 また、その後幽霊会館へ移り住む大庭家の引越しをしているミサコの前に箱山が現れ、箱山は「幽霊の希望は深川自身のものだ」と伝えます。それを軽くいなしたミサコと箱山は深川と幽霊が出演しているテレビを観ることになります。

 これ、原作の戯曲ではラジオでしたが、今回はテレビになっています。1953年にテレビの本放送が開始、また幽霊会館も完成しているので、現代の技術でああいった会館を造るのに約半年ほどですので、当時はもう少しかかっていたのではないかなとも思うので、この時点で深川がこの市に来てから1~2年ほど経過しているのではないかなと思います。

 

 そのテレビでは深川が「幽霊が市長になる、ミサコと結婚する」と宣言します。そのことに対して、箱山は「幽霊は底なしの食欲」みたいなことを言っていた気がします。

 ミサコは自分が急に当事者になったことで、箱山の前で『8年前の事件の目撃者』について話してしまいます。そうして、箱山がミサコにお金を使用してその件について問い詰めたことで、2人は険悪な関係になってしまいました。

 

 このシーンや他のシーンでも電話が用いられているのですが、今回のミサコと三吉の電話やこの後のミサコと深川の電話の両方で、話をしている一方がステージ上に居ても声を出しません。

 三吉は歩きながら電話を̪、深川はミサコの電話に絶望している様子を見せながらも声は出していません。だから、ミサコの電話の向こうで相手が何を話していたかは想像するしかないんですよね。これも舞台ならではですよね!ドラマや映画でそのような手法をするとめちゃくちゃ違和感があるのに、舞台だと違和感がないのですごいです。

 

 そうして三吉とお偉い衆の論点は『幽霊は結婚できるのか、出馬できるのか』に移ります。この町の信用度を考えると、万が一幽霊が出馬すると市長に当選する確率がかなり高いですし、端から幽霊を信用せず甘い蜜を吸っている三吉たちにとってはかなりの不都合です。なので、どうにか結婚だけで済ませられないかということで、幽霊ファッションショーでモデルを務めた北浜1番の美人が呼ばれます。

 誘惑のために幽霊の前で歌を歌うのですが、まりゑさんが妖艶なのに可愛らしくて、歌も最高に上手で、とにかくすごかったです。まりゑさんのことは、「上田と女が吠える夜」のイメージが強かったので、こんなに可愛らしい声で歌って踊るのかとびっくりしました。

 

 モデルさんが幽霊を誘惑している間に、老婆が1人訪れます。しかし、周りは聞く耳を持たず追い払ってしまいます。

 追い払われた老婆と男性が外で落ち合っていると、たまたまミサコが深川に電話をしているところに遭遇しました。ここからの話のスピード感は呆気にとられるほどです。

 

 ミサコに連れられて幽霊会館にやってきた老婆と男性は、深川をはじめとする皆に、「深川は吉田という人物で、戦場で死んだと思われている戦友は生きていた。戦地で気をおかしくしたのは深川(吉田)である」ということを告げます。

 思わず固まる吉田に対し深川は、戦地での水筒とコイン、戸籍謄本を見せます。呆然としている吉田ですが、鏡を見たことでその事実を受け入れるのでした。

 そしてトラブルに巻き込まれる前に逃げ出した大庭家と吉田、深川。

 残されたお偉い衆は絶望しますが、モデルさんの「どうせ見えないなら今までと同じ」という言葉で『幽霊商売』を継続していくことにします。

 

 自分が深川ではなかったこと、戦友が生きていたことを知り、吉田は急に子供ぽくなったように感じました。ふわふわとではありますが、しっかり歩いていたこれまでとは違い、母に寄り添うようにして歩く姿。かわいかった。

 対して本物の深川は深川(吉田)のようにシャキッとしており、知的な雰囲気が伝わってきました。

 トラブルになる前に逃げる大庭家。今回は三吉だけでなく、家族全員で逃げることにしたのは、『幽霊商売』を通じて絆でもできたのでしょうか。金の切れ目は縁の切れ目といいますが、金が新しい縁になったのだとしたら、救いになったのかもしれないです。

 

 そうして逃げた大庭家を箱山が追いかけます。「結末ができてよかった」というミサコに「まだ『幽霊商売』は続いている」ということを告げるのです。

 その事実を知った大庭夫妻は喜び、その時に『8年前の事件の目撃者』はトシエであったと明かされ、2人もまた『幽霊商売』を続けていくことにします。

 吉田も深川に「市へ戻るか」と尋ねますが、深川は「関係ない」といい、吉田と深川、吉田の母もその場を後にします。ミサコは吉田たちに着いていきました。

 商売が続けられると分かった夫妻は喜ぶ、その場に残された箱山は現実に絶望します。

 箱山ってこの物語で、唯一の良識のある正義の人だったのかもしれないですね。もちろん本のためとか、市長の対抗勢力と手を組んでいるからとかはあると思いますが、モラルを説いているのは箱山だけです。なので、『幽霊商売』はこれからも続き、『本物』が本当にいなくなったことに一番絶望しているのではないでしょうか。

 大庭夫妻が商売することは想像つきましたが、ミサコはどうするのでしょうかね?吉田と深川についていきましたが、そこから先のアテはあるのでしょうか。

 意外と自分の欲があった、というようなこと言ってましたが、ミサコの欲とはなんだったのでしょうか。途中までは『普通の生活』を望んでいましたが、途中からは特に気にしていなかったように感じます。

 となると、『幽霊と離れた深川(吉田)と一緒にいる』という欲望も考えられる気がします。別に家族仲がめちゃくちゃ悪かったわけでもないので、最後に別れていたのは家族より、深川(吉田)を取ったから…なんて可能性もあるのかもしれません。

 

 そうして物語は終わるのですが、最後にまた黒い服と黒い傘を持った住人たちが現れます。三吉は椅子を、その他の住人は傘を持ちながら歌を歌っているステージを箱山が布を引き幕を閉じます。

 その中に入らなかった吉田がシルエットを見る中で、銃声音が鳴り響き、再び開いたステージには傘と椅子だけが残されています。

 その中心に立ち、再び軍帽を被る吉田。

 砂の下でじっと前を見つめ、閉幕となります。

 

 このシーンの解釈は未だに迷っています。結局人類は戦争を繰り返すとも捉えられますし、吉田の中の戦争の傷はまだ消えないとも考えられます。

 戯曲の原作にはないシーンだったので、いつか稲葉さんの解釈を聞いてみたいです。

 

全体的な考察

 まず、上記でも軽く触れた『幽霊の声は深川(吉田)の心の中の声なのか』ということですが、私は以下のように解釈しました。

 途中までは、深川=吉田で幽霊は精神を病んだゆえの幻覚で、幽霊のセリフは深川(吉田)が深層心理で思っていることだと思っていました。(ミサコに好意を抱いているのも、人殺しである三吉を尊敬しているのも)だけど、幽霊の言葉に対して反することをミサコに伝えていることで、そんなに単純ではないのかなと思うようになりました。

 確かに幽霊の声には吉田の気持ちもあったのだと思います。例えば後援会での挨拶は、吉田の心理だったのではないでしょうか。「俺は誰だ」と自分に言っていたのではないでしょうか。

 ただ、その他の無茶苦茶な要望(会長になりたいだとか、市長になりたい)は吉田の気持ちではなかった気がするのです。吉田が市長になりたかったわけでなく、深川になってほしかったのではないかなと。

 吉田は深川と自分を逆に認識していましたが、日がたつほどに自分自身の矛盾がでてきていたのではないでしょうか。なので、途中(個人的には三吉がお偉いさんのところに行き、15時に電話を鳴らすように言っているあたり)からは吉田と深川が入り混じり、自分でもどちらが自分の人格なのか分からなくなっていったのかと思います。

 なので、無茶な要望は『吉田』として幽霊である『深川』に行ってほしいことだったのかなと考えました。自分より優秀な深川を死なせてしまった自責の念から、幽霊となった彼をせめていいポジションにしたいというものなのかなと。そう考えるとある意味吉田の希望ということになりますね。

 だから、ミサコとの結婚も「こんなにいい女の子だから深川と結婚してほしい」みたいな感じだったのかなと思います。ただ、吉田自身も好意を持っていたので死んでほしくなかったから、幽霊と反することを伝えたりしていたのかもしれないです。

 

 深川(吉田)が幽霊がいってしまう海について、真っ暗でぐるぐる幽霊が戦争ごっこをしていると言っていましたが、これは吉田にとっての戦争のイメージなのかもしれません。ジャングルのような島で戦友を亡くしたので、海での銃撃戦もあったのではないでしょうか。そしてそこで戦友を亡くし、自分自身も人を葬った。だから吉田にとって海は戦争の象徴なのかもしれないなと思います。だから海=戦場に戦友が再び向かうなら自分も一緒に向かい、戦場で死のうと考えていたと考えました。

 

 物語の後の吉田について、彼は幸せになれるのか。

 私は基本ハピエン厨なのもあり、幸せになれると思っています。ただそれは容易ではないでしょう。吉田は母と(もしかするとミサコも)暮らしながら、幽霊の影におびえていくことになると思います。いくら深川が実際には生きていたとしても、それを受け入れるのに時間がかかるし、もしかすると再度入院するかもしれない。

 でも吉田自身が自分のせいで戦友が死ぬことに本気で罪悪感を覚え、辛さを感じる優しさのある人だと思うので、母も深川も見放さないと思うのです。

 だから、何年かかっても再び幽霊が見えてしまう日が来ても、いつかは吉田は幸せになれると思います。思いたいです。

 

感想

 前回のブログにも少し書きましたが、もう人生を終わりにしようと考えていたような人間がまさかこんなに生死について考えるとは思わなかったです。

 盗聴も生きることを考えさせるお話でしたし、幽霊はここにいるもそうでした。そして先日観劇に行ったザ・ビューティフル・ゲームも命について考えるお話です。後者2つは国は違えど『戦争』といったテーマも共通しています。

 もし『幽霊はここにいる』を観劇しなければ、終戦後の日本の暮らしや戦争によって負った心の傷なんて考えることもなかったと思います。考えて調べる機会をくれた『幽霊はここにいる』にはとても感謝しています。

 

 あと、神ちゃんの演技が本当にすごかった…素人だから偉そうに色々言えないけど、神ちゃんファン以外が観ても凄いと思うんだろうなって感じるくらい凄かったです。

 そして八嶋さん!まじで生粋の舞台人でエンターテイナーとはこういう人を言うんだろうなと感じました。客席をも舞台にしてしまい、アドリブをバンバン行っていく姿は、他の舞台も絶対観に行くと決心するほど凄かったです。

 他のキャストさんも演技力はもちろん、普段舞台を見に来ない若い世代も楽しめるようなしぐさや、重いテーマを重くしすぎない絶妙な加減が最高で、人生初の戯曲がこのカンパニーでよかったと心の底から思いました。

 めちゃくちゃ偉そうに書いてしまいましたが、とにかく最高におもしろかったです!

 

 幽霊はここにいる、全公演完走おめでとうございます!

 最高の舞台をありがとうございました!!